ラジアントヒストリアというゲーム、一貫して
『自分より大事なものはあるか、命がけで守りたいものはあるか(そして、守られていることに溺れてはいないか)』
…を、問われていた気がする。
正直、そんなもの無いよなあ。東日本大地震の報道を見ても思うが、あんな状況に遭遇したとき自分を投げ出して何かを守れるだろうか、そもそも何を守るのだろうか。きっとあっさり溺死してしまうんだろうな、自分。
…と、色々考えされられるところもあり、シナリオの完成度も高く良いゲームであったと思う。
その割に何故あれこれグダグダ言っているかと言えば。
多分(多分ってなんだ)、主人公ストックさんの設定ですな。
『超ネタバレ注意→→→実は王子で既に死んでて記憶を別人のものに入れ替えられてて世界滅亡回避の為にもう一度死なないとならない』という。
ファイナルファンタジー(いや野村ファンタジーと言うべき?)とかならもう、小出しにイベント発生させてグリグリえぐってチクチク精神責めして主人公を苦悩させてプレイヤーを混乱させて大いに盛り上げるポイントですよここは。ご飯大盛り三杯はいけそうな設定ですよこれは。それをアッサリ『やはりそうだったか』の一言で終わりとは何と勿体ないことを(爆)!
きっとこのゲームの主題はこの設定自体には無いんでしょうな。主題は↑で、その状況を作り出すのがこの設定であっただけ、みたいな。
そんなわけでラジアントヒストリア、達成率100%で何か起きるかも!?の望みを捨てきれず、攻略サイト見ながらサブシナリオコンプリートした…かったのだが、隠しボス?に勝てず。まぁマスターも『得られるものはない』って言っているからこれは条件分岐には関係ないだろ多分。
以下ネタバレ。
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あ、やっぱり真のエンディングがあったのね。
主軸のボリュームが全然違うわ。
これなら一応、プレイヤーとして報われた感&設定の裏付けをされた納得感があるかなあ。
お前はエルンスト王子だー、と言われても『はぁ。何その取って付けた設定』という感じだったんだよなあ。何しろストック本人は最後までその記憶がないし(せいぜい妹に見覚えがある気がした程度)、いやもしかしたらあるのかもしれないけれど、見事なまでに持ち出さないし、周りの皆は丁重に別人扱いしてくれてるし。けどラスボスの台詞からして性格は変わってないってことなんだろうな。やっぱりああいう自分が置かれている立場を理解して淡々と”やるべきことをやる”人、ということなんだろうな。
しかし最後の最後に選択肢が出てきてあせった。どっち選んでもちょっとセリフが変わるだけのような気もせんでもないが、気になる…もう一回ラスボス戦しろと?
○ ということでもう一回ボス戦やってやったさ。
これまでの反省を生かしエルーカを連れて行ったのでアッサリ氷殺さ。
やっぱり台詞が変わるだけ、といえば変わるだけだったけど…
これは、どっちもアリかなあ。プレイヤーが”その選択肢”を選んだ心情に合った台詞であると思う。