フロイトから始まる精神医学的なものから女子が大好きな自己診断まで色々あろうと思うがそんな話ではなく。
今朝まどろみに見たのはみんなで鍋を食べようとしている夢。何故かアサリがぎっしり入った鍋で母曰く人から大量に貰ったそうだ。なので結構砂をかんでいる。ちょっといびつな形。中から藻?が出てきたと妹が訴える…
と、最近、実家時代が舞台の夢をよく見るようになったなあと。
理由は分かりきっている。
友人達は結婚して子供をせっせとこさえて家族を形成していっている。
一方自分は自身の家族もなく、長年住んでいた土地からこれまた先祖代々住み続けてますみたいな奴ばっかりの田舎に転勤を命じられ…といって今の仕事に愛着もなく。職場に己の確固たる居場所もあるわけでない。人1人必要だから取り敢えず自分がそれをやっているわけで、結局誰でも良いわけだ。
プライベートにしろ仕事にしろ、居場所がないのはそのように努力をしないからだと言われればその通りなのだろう。仕事だってある日突然全く違うことを命じられても、コロッとそれを旧来取り組んでいたことかのように受け入れこなしていくのが優秀な必要とされる人材なわけで、己のキャリアパスを考えつつ器用に業務をこなしていくなんてことが出来ない人間に居場所はない。
と言って生きるためには好き嫌い言わず仕事をしなければならない。
ではそこまでして生きる意義とは?
自身にそれが見いだせず、他(仕事か家族か何か)から与えられているわけでもない。どうして生きなければいけないのか。
そういや基本的に家族の夢なんて「親戚の誰ぞやが死んだから招集」くらいしかないなあ… <br>薄情かもしれんが。 <br>今の私からすると、会社に居場所が用意されているだけで羨ましいよ… <br>いつ野たれ死ぬかわからん自営の恐怖よ。
没個性の雇われか自営か、田舎暮らしか都会暮らしか、どちらが良いのかある意味究極だよね…情の厚さは人それぞれなんで何とも。